設計1 レイヤ同士の統合

建築の方で出てきた個人的課題。

しかしある種ののっぴきならなさを伴って個人生活に語りかける。

それでいいのか、と。

 

各種のレイヤに分かれている。

この世界は、そうですよね。

 

それぞれのレイヤで一生懸命やって、それら同士のやりとりは後回し。

 

しばらくそのままで来ると、没交渉のレイヤ同士がちぐはぐになってくる。事情をかかえるなんていうのはそういうことだろうね。

 

今回はその統合、重ね合わせのデザインを試みようというわけだ。

 

統合?総合?

どっちかね。

個人的語感は統合を推す。

そっちの方がレイヤ同士が独立したように響くからだ。

総合の方は溶け合う部分が出る感触。

それはそれとして…

 

個人的にはこの10年でレイヤ群に大きく参入した2つがあって、それはスマホと法律だ。

それぞれがレイヤ群と言える規模の連中。

 

そして既存のやつらは家、地域、本、植物、海、道、友達関係。それと個人的なやつがさまざま。G2システムとか感触とか。そのあたりはなんか聞いてくれるひとがおらんと話にならんもんね。

 

さてそしてこれらは先の2つに従うようにして解像度を増してきた。人々のIQは年々上がっているそうだがそれもこうした新しいレイヤとそのレイヤからの新しい要求によるのだろう。

 

個人的なやつをkeep organizedしようと思ったらやはりそれぞれについての理解が必要なところ。それを観、と言うてたけれど、40にも近くなるとその闘いは年々必敗に近づいてゆく。

これに対してなにができるかみたいなところでいうと、やはり手放すことか。

surrenderと和尚の言うように、放下するものか。

 

理想としては全体の統合。

それぞれについての観。

それらを犀の角のように進めてゆくような道を行こうとしている。

 

しかし一切合切というわけにもいかないので、適当に放下、そして自前のorganizationの範囲を決めてその中をメンテナンスしときたい。

 

観。ひとつひとつのあるいは全体の設計だ。

 



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卒業設計の敷地は湾西のここにした。

この美しさはすでに十分では?

建築の出る幕はあるか?