小さな架台基礎みたいな、こういう仕事はなんで楽しいのかなと思えば、それはやはりそこに全体像があるからだろう。
計画を一望する設計という営みや、仕事を積み重ねてゆく施工という営みは、それぞれが常に膨大さの波打ち際をゆくプロセスで、ふと気が付くと膨大さの中に揺蕩う瞬間、迷宮の中に彷徨う瞬間がある。
そんなときにはいつも柱を立てるとか、穴を掘るとか、そういうシンプルなやつを!と願う。
そしてこうやってたまに豆腐をそこに打つような仕事があると、これだこれだと和む。どういうことかな、としばらく考えていて、全体像を掴みたい気持ちが満たされるのだと、ふと思った。
自分の生活にもそういうところが欲しい。
鶏を飼う、卵をもらう、たまに捌いて焼鳥を焼く、みたいな。
米を植える、刈り取る、干す、みたいな。
木を切り倒す、切り分けて、下ろしてきて、売る、みたいな。
さいごのは板が挽けたら別に家具にすりゃええか。
そういう欲求。
今、自分の奉仕する全体はどういうものか。
そういう問いとともに。