勉強の合間に読んでいる本がいくつかあって、全体像の見えないままの逍遥という感じで楽しんでいる。
1 天然知能 郡司ペギオ幸夫
エピソードがやたら面白い本で、天然知能の感じは共感と憧れみたいな印象。手術してなくなった痣の痛みを懐かしく寂しく感じるような心持ちもしていたが、ふったち猫のところを読むと、失われたと思うのはまだ早い、天然知能全開でふったちたいと思った。
全体像はまったく見えない。
2 日常的実践のポイエティーク ミシェル・ド・セルトー
言葉の感じを掴みたいと思って。特に日常言語の、と思ってウロウロしている界隈。
テキストによる支配体制とか、すり抜ける仕草とか色々参考になる。
全体像はまったく見えない。
3 千のプラトー D/G
おなじみのミル・プラトー。
夜戦と永遠を通って、スキパラとか領土化とか、SMとかそのあたりの話を今見ると見えるところ多そうに思って。
全体像はまったく見えない。
4 漱石論集成 柄谷行人
卒業設計で再会した柄谷、文体論の話をしているときに全集に漱石論がはいっていると聞いて探したところ、集成としてまとまっていた。
ありがたや。
漱石という人はほんとに不思議だ。と読んでいたら、誰やらの言葉を柄谷が引用して、漱石の作品には謎がなく、漱石には謎ばかりという話だったのでそうだよなあ、と思った。
しばらくはそんな感じ。