駅前の飲湯場(熱)
思いついて城崎へ行ってきた。
前の訪れからは20年が経つ。
御所の湯に入って、芯からぬくもって歩いていると色々思い出したし、また今では建築という補助線とか他にいくつかの補助線があって、同じ橋の欄干に同じようにお行儀わるく腰掛けていても、見え方は大きく違った。
懐かしいあの日。また懐かしいこれから、という感じがして今、そのときを眺めると家族も増えて住処も変わって、これは一局だなあという気持ちがしてありがたかった。
なんにしてもいいお湯で、帰って今もぬくい。
20年前にきたときはS氏とバイクで。
住処(ルデパールⅡ)でゆっくりしていた夜に銭湯でも行こうという話になって、城崎?と唐突に出掛けた。風呂もまだ開いていない明け方に着いて、冷えた身体をぬくめたいと湯を探して見つけたのが冒頭の飲湯場だった。
ちょろちょろと出るその湯は非常に熱く、我々の身体は寒く、少し触っては熱い熱いと言いながら冷えた身体を縮こまらせていたのだった。
あのときは行きか帰りか、出石の蕎麦がうまかった。どんな話だっただろう。色々な話をしていた。
お互いに家族ができて、元気でやって、それぞれの人生、という感じがする。ありがたいものだ。
その前に来たときは電車で一人できて、そのときは漱石の三四郎を読んでいた覚えがある。橋のたもとに本屋があったその場所は別の店になっていた。
土産物屋の石とかガラスとかを見ていると懐かしくなって、娘が欲しがったヘアゴムを買ってやった。
あとは透明なゴムのタコで、揉むと膨らむようなおもちゃのようなものを娘は買っていた。
今回、娘には申し訳なくもマリンワールドの存在を失念していたので、今度多少ぬくくなってまた来て、あっちの方まで行ってみようと思う。できたら泊まりがええな、とか。
泊まりがええな、というのは妻の地スタウトを少し舐めさせてもらったときにも思った。
帰ったら妻が香住鶴を落として割れた。
袋に残った分を濾してみるというので、眺めていて、しぼりたて生原酒とか言うて笑って飲んだ。
香住鶴は鮮やかな感じのする酒で熱燗が非常にうまい。もうひとつ温もってゆったりした。
御所の湯。
青石、透き通る湯にもみじがゆらゆらと舞っていた。