解釈と読替えと大根白菜

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師走に入って年末が近づくと、なにとはなく内側の回路というか水路というか、あるいは泉というかが開く心持ちがするのは毎年のことになった。

どことなく懐かしいその流れに手を触れると、忘れていたことを色々と思い出す。

そしておそるおそるつかってみる。

 

今日はそこに思いがけず外と内の出会いがあった。

外で何かが起こるということを許可、あるいは敗北を認めるとき、そこには単にエネルギーの流れだけがある。そしてそこに善し悪しを読むのはこちらの勝手だ。

 

なんか色々と思った。