今週末は今治の両親が孫の顔を見に遊びに来てくれた。
また先々週、伯父からTELあり、来訪良いかと言うのでちょうど合わせて夫婦で来てくれることになり、久しぶりに皆で飯を食った。
こうして舞鶴に集まることになろうとは。
父は71、母は62か。年が経って衰えも見えるが、皆相応に元気で何よりだ。
父ちゃんなんて5年前にはごっつい癌が見つかったのを、大きな手術と強い薬とで乗り越えて。あのときはさすがに覚悟をしたが、それでもこうやって会って笑いながら酒を飲めるのだから仕合せなことだ。
母ちゃんも孫1人生まれ、そうして今回もう1人生まれて嬉しそうで良かった。足はまた少し歩きづらそうにしていたが、いよいよ年貢の納め時で帰ったら足の手術をすることにしているとか。いっときはいろいろと億劫そうにしていたが、思いついてそうやって向き合う姿を見ると尊いように感じる。そのあたりを前々はその人の思う勝手と考えていたが、それでもやはりその姿勢が出てくるのを見るのは有り難い。
平癒を希う。
伯父夫婦の方は15年に武豊へ泊まりに行って以来だから8年ぶりだ。あのときには伯父の船(かっぽれ号)を出してもらって日間賀、答志から神島を通って沖へ出て大きな大きな鯛を釣った。帰りにまだあのときは結婚していなかった妻と仲間の大阪中津のアジトへ何尾か届けたところ、彼女はどこかへ出ていたらしく、あのときは食べそびれたと今度も言っていた。
海洋土木の伯父と造船の父と埠頭から海を眺めていると昔昔、土木と建築で揺れた一瞬を思い出した。建築の道をしばらく踏みしめてきた今となっては記憶の波打ち際にうっすら跡がある程度だが、思ってみればそれはそれで一局だっただろうと、そそり立つコンパクションやひと休みするアンカー船を眺めながら、ありえたかもしれない別の人生を。
伯父もそうだが伯母の方も人を元気にする天才で、いろいろ話して今回も元気をもらったし、娘も楽しそうに話していた。
ホテルを取っていた伯父たちはひとしきり飲んだあと東へ。両親はうちへ泊まって、昨日行ったという籠神社の遷した元伊勢内宮へ翌朝は参った。2000年とも言われる杉の木を筆頭に大きな木が立ち並ぶ参道をゆっくりと歩きながら次はお伊勢さんかと話をしていた。
娘が絵馬を書きたいと言って彼女の分と、せっかくならとぼくもいっしょに書いて納めた。
次会えるのはいつになるだろうか。
また会う日までお元気で。